2012年11月28日水曜日

響会Vol.6 告知




2012年今年最後の響会は、Vol.3以来で
塚田さんのホームグラウンドのリムグリーンで
温かい雰囲気でお送りします。

今回のテーマは「冬至」。
終わりであり始まりでもあるこの日。
さて、どんな音をお聞かせできるでしょうか?
お楽しみに!

月日:12月20日(木)
時間:19:00開場 19:30スタート(21:30終了予定)
場所:神保町 リムグリーン
東京都千代田区西神田2-4-1 東方学会本館3階33-2号室

トーク:楠瀬誠志郎、塚田有一
ファシリテーター:土谷貞雄

料金:3,000円(季節のお茶、ホットワイン&スープ付き)

内容:
・音鑑賞
・トークセッション
・生け花

お申し込みはこちらから

お問合せ:氏家 ujiie_k@toshi-arc-design.jp
当日のご連絡先:氏家 080-5067-0901 



2012年11月14日水曜日

響会 Vol.5 響花書


今回より、響会で生けたお花を響花と呼ぶことにしました。

Vol.5で生けてくれたお花の響花書を塚田有一さんが書いてくれました。

ご覧ください。

【響花書】

◯ギョリュウバイ (フトモモ科) マヌカ(マオリ語で)マヌカハニー
~【蜂蜜 花の蜜】
 
◯パニカム(黍属) チョコラータ
~【五穀/穀物神】
…黍(きび、しょ)という文字は、穀物に水をふりかける儀礼を表す。

◯雲南四季萩
~【秋の七草/豆科】

◯ポテンティラ(バラ科)
~【青薔薇 雉がやすむところ】

◯鶏頭(ヒユ科)
~【鶏頭の一四五本もありぬべし】

◯秋桜(キク科)
~【キク科 コスモス 】

◯ソリダゴ セイタカアワダチソウ属 
~【キク科 秋の野】

◯楓
~【もみじ語源 紅葉狩り】

◯ルリマツリモドキ  イソマツ科…アルメリアなど海浜に
~【青…月的/海(潮汐)】

◯白河砂利
~【石庭/白河/『梁塵秘抄』】

2012年9月24日月曜日

響会 Vol.4 抄録


響会 Vol.4 抄録 2012年8月30日



今回のお響書 「月琴和琴」

【第一部】

氏:

忙しい生活の中、ゆっくりと音を聴く時間を皆様お持ちでしょうか。
五感が優れている、と言われている日本人も、最近はその五感が
鈍ってきたのではないかと感じています。僕たちは、五感の中の
聴覚を使い、音を聴くことで、五感を呼び起こさせてくれるのでは
ないか、そして、日本固有の音にその力がよりあるのではないかと
思い、そのような音を音遺産と名付け、「音遺産プロジェクト」を
立ち上げました。

また、音には場を作る作用があるのではないかという試みとしても、
この響会を開催しております。毎回季節に合わせた音を選び、
皆様にお届けしております。



楠:

僕は音楽を職業にして生きています。音楽というのはただメロディー
を書いているのではなく、音を並べる作業をしています。ある音を
ポンッポンッポンッと並べていくんです。そして、その旋律の前に、
言いたい事をどの音を使って表現するか、という事に物凄くエネルギー
を使います。その過程で感じることは、日本には何故こんなにも
素晴らしい音があるのだろう、ということでした。昔の人のセンスは
凄いなぁ~という興奮でした。

そんな音を皆さんにも聴いていただきたいと思いました。
古くから語り継がれている音にはマジックが隠されている。
音楽、というよりはその一つ手前の「音」というものについて、
皆さんと一緒に勉強していければと思います。五感で言う「聴く」
というよりは「浴びる」という感覚ですね。

では塚田さん、まずは本日のテーマ旧暦の「七夕」について教えてください。

塚:

今年は8月24日が旧暦の7月7日になります。
6月30日に夏越の祓(なごしのはらえ)という、茅の輪をくぐったりして
穢れを祓う行事があります。6月30日なので晦日(みそか)ですね。
それを晦(かい)とも言います。次の日が新月で、それから7日目目、
上弦の月が七夕にあたります。そもそも七夕というのはお盆の前、
お盆につながる行事だったんです。

楠:

では、僕たちが七夕から思い描く短冊といったような、お祭り的な感覚
ではなく、お盆というフィニッシュがあり、そこに向かって存在していた
ものなんですね。

塚:

もちろんお祭りでもありますが、
何故「七夕(しちせき)」と書くのか、という疑問もありますね。
それを何故「タナバタ」と読むかについてですが、「タナ」は本棚の「棚」、
「ハタ」は機織(はたおり)の「機」からきています。そもそも中国から
伝わった7月7日の行事である「七夕(しちせき)」に「タナバタ」という
読み方があてられました。


お盆の時に訪れる祖霊に対して禊ぎをし、
棚機つ女(たなばたつめ)として選ばれた女性は神衣(かみそ)を織ります。
そして、身を清める場の境界として海辺や渚、
川べりといった水際が選ばれ、その時に簡単な棚をしつらえられ、
織った衣がかけられていたんです。
棚というのは袖や、他にも旗とか領巾(ひれ)とか、
ヒラヒラするものであり、「手巾」と書いて「たな」と呼びます。
そういったヒラヒラしたものが短冊に変わってきた、と言われています。

七夕飾りも考えてみると「吹き流し」のようなものがあります。
あとは網飾りとか。ひらひらとして、何かを引っ掛ける様なもの。
他にはひょうたん、貝殻、盃、瓜などがあり、それらは何かをが宿る「器」です。
そして、時が経つにつれ、ねぶた祭がどんどん大きく派手になったり、
鯉幟や七夕がどんどん華やかになっていくようなことは
風流過差(ふりゅうかさ)と呼ばれます。




楠:

なるほど、「棚」という面白いキーワードがありましたね。今日、皆さん
とお聞きしたい音のお響書は「月琴和琴(げっきんわごん)」です。
日本に一台しかない貴重な楽器です。まずはその音を浴びてみてください。

非常に美しい音ですよね。これは雅楽の音です。
雅楽は下から上に登っていくように、縦に音楽が創られています。
面白い事に、宮廷の音の世界、雅楽の音の世界には音に位(くらい)が
ついているんです。そしてこの和琴という音の位が一番高いのです。
なので、雅楽の世界で一番位の高い方が和琴を弾いています。
その一番偉い方はその家系も代々その位を維持しています。

音の層的に和琴は一番下位に位置し、その上に他の楽器がボンッボンッボンッ
と重なっていきます。今でいう園遊会など宮廷などの場では、和琴1台
だけで演奏されている事もありますが、通常その最上階は篳篥(ひちりき)
という楽器が担当します。和琴は音を上げていく段階で他の楽器にバトン
タッチして自分の出番は終わり・・・ではなく、音が重なって上に行くまで
最後までジャラーンと鳴っているんです。

横に並べる、のではなく、音を棚にして並べていくのが、和の音楽なんです。
仮説ですが、日本人はこの縦のグルーヴ感を持っているのではないかと思い
ます。日本人は縦、上下、という感覚に優れている民族なのではないでしょうか。
優雅さよりもダイナミックさですね。

ところで、聴いていて鉄の弦の音色がしませんよね。弦楽器といえば鉄の音
の弦の音色をイメージする方が多いかと思います。鉄の弦の楽器というのは
海外から入ってきた文化です。木の根、馬の鬣、麻、そして絹など、布で弦
が作られたものが日本の弦楽器です。純粋な日本のもの、というわけでは
ありませんが、簡単に分けるとそうなります。ひものようなものなので、
弾くのにかなり力を必要とするものです。



【響花へ】

塚:

僕のいける花が、何か音と響き合ってできあがるといいなと思います。
七夕というと、夏から秋への間のお祭りです。このような季節と季節の間
の祭は行合祭(ゆきあいまつり)と言います。日本の五節供は
全部その時期に行われます。
今日の花も夏と秋が行き交うようなものになっていると思います。
(最初芒をたてる)
七夕の時期、例えば青森では「ねぶた祭り」があります。
「ねぶた」というのは「怠け心」とかけられていて、
これからの農作業の際に怠け心を持たないよう、それを流してしまおう、
という行事で、「ねぶり流し」や「ねぷた」ともいわれます。
「合歓木(ねむのき)」は夜になると葉が閉じて眠ります。
それを良くないものとして、その枝を流すんですね。そして、その一方では
合歓木で収穫された豆は流さないようにしました。それを謡ったうたなども
存在します。
(山藤を活ける=藤は豆科)

お琴や琵琶もおそなえされる事があります。それは弦が絹でできているからです。
(山桑の葉を浮かべる)
月琴和琴もそうですね。何故天皇陛下が代々和歌をお作り
になるのかずっと疑問でした。さっき和琴が天皇の楽器という話もありましたが、
そもそも「和」という字がついてますよね。実はこれは難しい字で、単純に調和
とかそういう意味ではありません。右辺の口は、本来は口では無く、笛の形でした。
不調和の様々なものを束ねて和する、という意味が本来の意味なんです。
(アマンサラスや黍を活ける)

(菊を活けながら)
菊は日本語だと思われてますが、中国語ですね。元々「クク」という言葉で
入ってきます。重陽の節句、別名、菊の節句とも言われてます。ククはくくると
いう意味から来ています。小さな花が集まった、くくられた花という意味があり
ます。中の米は小さいもの。それを集める。毬なども同じような意味があります。



 (マリモなど活ける)
生命が海から上がって、人の身体も植物も水に満たされている事。
月琴和琴の音を聴いていて、生命誕生の響きを感じたので、
水の中の植物を活けました。ストロマトライトなどイメージしています。


段々秋のお祭りとなるとお月見になりますね。月は満ち欠けを繰り返すので、
収穫祭の意味が大きくなります。
 (穀物である黍や、アマランサスなどをいけた意味)月の女神は世界中で穀物の女神、大地の女神である。その再生を月に願うのがお月見。



【第二部】


土谷
素晴らしい音とセッションでしたね。先ほど、塚田さんが話しかけた秋の七草の覚え方は…。

塚田
そうでした(笑)。「お好きな服は?」です。
それぞれ、
「お」女郎花
「す」薄(すすき)
「き」桔梗(ききょう)
「な」撫子(なでしこ)
「ふ」藤袴(ふじばかま)
「く」葛(くず)
「は」萩(はぎ)
ですね。
ちなみに撫子は、撫でた子は可愛い、ということから来ていますね。
また、五行説というものですが、方角にも意味というか色があって、東が青、西が白、南が赤、北が黒、真ん中が黄色なんですが、今回のセッションもそうやって方位の色に合わせて花を挿しました。

土谷
本当に勉強になりますね、この会は…(笑)。
音についてもう一度お話していきたいのですが、この響会の一番初めの音は水琴窟、それから風鈴、くす玉…、と会を重ねてきました。これまでは自然が鳴らす音で、人間の力というのは自然にはかなわない、ということを感じてきましたが、今回は人間が鳴らす音なのですね。こんなにきれいな音なのに、日本の楽器は音を鳴らすのにとても力がいるんだということも分かりました。
こうした音について、もう少し伺いたいなと思います。

楠瀬
例えば、洋楽というのは後半に向けてだんだんと作っていくんですね。モーツァルト、ベートーベンの頃から。日本の音楽というのは、最初のカーンという音で、一発で作ってしまうんですね。時間をかけてゆっくりという作り方ではなく。そのまま、あっという間に終わってしまう。他の国にはできない独特の表現だと思います。日本人は面白いですね。
今日の月琴和琴ですが、この楽器は9メートルあって、4弦なのですが、女性が置物を着てちょいと弾くのは無理です。男性が相当な力を使って弾かないと音が鳴らない。最初のパンという瞬間のところに音楽がある、そういうのが面白いところです。そうした文化が、昔から守られていています。



土谷
音については分かってきましたね。
雅楽という音楽でもそうなのでしょうか?

くすのせ
月琴和琴は、楽器のなかではベース、一番下の音です。ソロで1台だけ、貴族たちにポロンと弾く楽器が月琴和琴です。

土谷
例えば太鼓をたたくという場合でも、普通に叩いても音が出ない。瞬発力、あるいは鍛錬とも言うべきか、ある高みに達するまで音が出ないのが日本の楽器かもしれませんね。

楠瀬
その美学がすごいところですね。重労働のあとに、選ばれた音が出てくるという…。

土谷
それも、透き通るような音ではなく、響くような音。

楠瀬
決して西洋音楽のような、クリアな透き通るような音ではないですよね、葉っぱ臭いというか木の匂いがするというか。

土谷
さて、塚田さんはこのような「棚」をつくってくれましたが、月琴和琴はベースであり土、支えとなるものですよね。支えということがテーマとなって、音が上と下でつながっている。アクリル版を使った棚は、見えない土の中を見せてもらったという感じがします。音も見えないものですから、そこに共通性が見えます。



塚田
和音の音を聞かせてもらって時に、ベースの音の凄さというのも感じましたが、一番感じたのは「色気」だったんです。たとえば「色好み」といいますと、いい言葉として使われないですが、情愛豊かであるとか、そう云う人は周りを華やかにする人であったり。ですので、人々が情愛が豊かであれば国が平穏である、そんな意味ももつ言葉だとか。そうした色気があるような花になればいいなぁと。色気や艶っぽさには土谷さんが仰った「水」は欠かせない。
ちなみに「彩」という文字は植物からもらった色彩を意味する形です。

土谷
水というのもすごい力ですね。水というのもはいろんなものを運んでくるわけです。けがれを移して運んでいくのも水でしたね。

楠瀬
本来の日本のかたちってそういうものが多いですね。音そのものよりも後の余韻が残っているような。
古墳などの遺跡の中からも、月琴和琴に近いものが出て来ているんです。

土谷
500年前も、同じ音を聞いていたのでしょうね。音の凄さは、数百年前に聞いていたものを、時代を経ても同じ音が聞けるということですね。今日みんなどんなことを感じたか、聞いてみましょうか。

ゲスト中山さん
月琴和琴の音が、月夜の海の音みたいだと感じていました。広い海で、月が煌煌と光っていて、そこに繰り返しながれる音のような。とても気持ちよかったです。新たらしい音と出会う事ができました。夜、海がどーっと来るかんじ。でも繰り返して轟いている感じですね。

楠瀬
月琴というともう少しきらきらしている音かと思いませんか?それが、あんなドローっとした音ですから、そんなきれいな月じゃなくてドローっとした月だったんじゃないかと思うんですよね。そうすると音とのつじつまが合うんです。今とは違う月の見方があったんじゃないかと。



ゲスト岡田さん
実は始めて聞いたのですが、雅楽のベースだと聞いて驚きました。仕事で宮内庁の音を収録したことがあるんですが、ひとつずつの楽器の音をもらうことがさすがにできなかったので…。この音も入っていたんでしょうね。気がつかなかったです。

楠瀬
雅楽のなかではこの月琴和琴の音はそんなに目立たないですね。でもなければいけないベースの音です。

土谷
スープのだしみたいですね。おいしいだしというのは、味を感じないくらい味がなければないほど美味しい。何かが入ったときにその味が引き立つもの…。そんな音なのかもしれないですね。

ゲストきはらさん
インドのシターラという楽器がありますよね、後ろでひたすら同じ音階をひいているという。その繰り返しのパターンときわめて似ていると思いました。激しい音を際立たせるために繰り返ししている。そういうものが日本に伝わってきていたんだなと。鐘は月をベースにしているんですよね。姿かたちを変えて日本にたどり着いているだなぁと思いました。

塚田
シルクロードが発達しなければ、なかなかここまで文化が伝わってこなかったですね。



土谷
ほかにも…。真正面の方。

ゲスト中村さん(ヨガの先生)
塚田さんのご紹介で、昨日突然お誘いを受けまして。あまり詳しく知らずに飛び込んだのですが草っぽい音というのが印象に残っています。私もそう感じました。土っぽいというか。塚田さんがつくってくれたものを見ながらやっぱりそうだなぁと。薄や桔梗もそうですが、そのまま生えているものを活けたという感じが凄くします。粗野なんだけど洗練されている、当然のように同居しているというか。いただいたごぼう茶も土っぽくて甘みがあるような…、そういうのも全部含めて、この場所に座って月を思い浮かべたりとか、来る前に日比谷公園を歩いたんですが、そうしたことが渾然一体となって今この時間につながっている感じがします。

ゲスト○○さん(上海からのお客様)
一番肝心な音を聞けていなくてちょっと悲しいのですが、お話を聞いて、西洋の音楽が後半に従って盛り上がっていくのに対して
、日本の音楽は潔さがあるなぁと想像していました。上海はとても一元的というか、大きい小さい、薄い濃い、そういう世界が日常なので、本当に単純に癒されました。これもぐちゃぐちゃに見えるけど(笑)、ちゃんとしっくり来る。中国はぐちゃぐちゃでしっくりこない(笑)。そういう生活をしているので、自然のもので調和が取れているこの世界観に癒されます。

土谷
さぁ、そろそろ時間ですね。今日はたくさんの方にいらしていただき本当にありがとうございました。二ヶ月に1回の会ですが、
また少しずつ輪を広げていければと思います。本当にありがとうございました。


2012年8月7日火曜日

響会Vol.4のご案内


8月30日(木)夜に行われる予定の響会Vol.4の詳細決定しました。
初の会場、丸の内倶楽部21号館。
元銀行の金庫だったという造り。
音の響きがとてもよさそうなお店です。
これまでとまた一味違った雰囲気をお楽しみに!

月日:8月30日(木)
時間:19:00開場 19:30スタート(21:30終了予定)
場所:丸の内 倶楽部21号館
東京都千代田区丸の内3-3-1 新東京ビル1F
TEL : 03-5288-6125

トーク:楠瀬誠志郎、塚田有一
ファシリテーター:土谷貞雄

料金:3,500円(季節のお茶、音にゆかりのお酒&おつまみ付き)

内容:
・音鑑賞
・トークセッション
・生け花

ここよりお申し込みください。
https://docs.google.com/spreadsheet/ccc?key=0AqKvqzrUj41adE9qSDJ2Vmp5TGl3eTNDVVpjeTJuemc#gid=0

お問合せ:otoisan@gmail.com
当日のお問合せ:080‐5067‐0901(氏家)

2012年7月25日水曜日

塚田有一さん企画展のお知らせ



我々の仲間で、響会でも日本の古来の歴史に基づいた話と
素晴らしい生け花のライブを見せてくれます塚田有一さんが、
エキシビジョンを行います。

詳細は下記のとおりです。

月日:7月24日 10:00〜8月10日 18:00
場所:オカムラ ガーデンコートショールーム 
〒102-0094 東京都千代田区紀尾井町4-1 ニューオータニ・ガーデンコート3F
http://www.okamura.co.jp/company/topics/2012/2012spaceR.php

オカムラデザインスペースR 第10回企画展の開催のご案内です。
皆さまのご来場を心よりお待ちしております。

企画主旨:第10回オカムラデザインスペースR(ODS-R)は、
基本コンセプト「建築家と建築以外の領域の表現者との協働」に従って、
建築家の平田晃久氏とその協働者としてフラワーアーティストの塚田有一氏を迎えます。

タイトルを「Flow-er」と決め、
昨年12月から打ち合わせを重ねてガーデンコートショールームに、
水と植物を用いて、われわれの記憶にねむる原風景としての大きな花のような、
あるいは優しい里山のような風景を現出させます。
タイトルは、溢れる水と植物の力で現れる原風景を意味するものです。

ODS-Rでは毎回、
「いま、あなたの建築設計で最も関心があって、
この場で実験的に挑戦してみたいこと」を建築家にお願いします。
そのことによって、インスタレーションの中に、
建築と風景の近未来を表現しようとしています。

平田さんは、構成要素が積極的に「絡み合う」状況にチャレンジしたいと、
その思いを述べています。
建築的な仕組みの表層に水や植物を絡ませるのは、そう難しくない。
もう数歩踏み込んで、その場所の空間と絡み合い、
さらに訪れる人々の身体的動きとも絡み合うランドスケープを求めて、
議論の応酬がありました。
そのうえに、今回は、人工化されたオフィス空間に、
「溢れる水と植物の力」を導入することにもチャレンジします。
高度な制御技術が求められますが、制御というよりも、
水と植物の溢れる力を会期中、維持し育てていく技術が必要です。
この方面での、協働者の塚田さんの構想と技術の力が不可欠でした。

平田さんと塚田さんは、
「オフィス空間に、水と構造体と植物がからみ合った、
庭とも建築ともつかない光景をつくりたい。
中央のアクリル構造体を伝って、水が一枚の花のように広がりながら流れ落ちます。
人はその世界に入り、目に見えあるいは見えない様々な流れに耳をすまします。
これは庭師の思考に導かれながら、建築のかたい殻を水の流れの中に解き放ち、
私たちのからだを、変化する水の様態の中に解き放つ試みです」と説明しています。 

(企画実行委員長/川向 正人)

響会 Vol.3 抄録



響会 Vol.3 抄録 2012年6月21日






【この日の響書き】

薬玉(クスリダマ)





【第一部】


生きている中で音がない瞬間は、死ぬまでありません。
音は大気に乗って流れていて、24時間身の回りにあるものです。
私たちは音の中にいるといってもいいかもしれません。
地球に暮らしている以上、音は確かにそこにあり続けるのです。
聴いているか、聴いていないかという話なのです。


さて、今日、みなさんと一緒に
「日本の音」について考えてみたいと思いますが、
ずっと昔から今まで大切に語り継がれてきた音というのは、
間違いなく何かしらの意味があるように思います。


なぜ何千年も前から大切にされてきたのか?
今日はそのことを、
みなさんと一緒に耳を澄ますという体験を通して考えてみたいと思います。






今日の響書き(お品書き)は薬玉(クスリダマ)です。
まずは気持ちを楽にして聴いてみてください。


平安中期、5月5日の端午の節句に、邪気を祓うため菖蒲の葉を頭や体に巻き、
同じように薬を菖蒲の葉でぐるぐるに巻き玉にして、
帝から貴族の人たちへ捧げられていたそうですが、
この薬玉は、蓬(よもぎ)や菖蒲(しょうぶ)などの
草、香料、薬草を錦の袋に詰めて丸く作り、
その下に五色の糸を垂らしたものをそう呼んだそうです。
香草や薬草を摘めて作った玉ですから、まさに薬玉だったわけです。


さらにこの儀式では、約4mの棒に4本の鐘がぶらさがっており、
薬を運ぶ人たちが棒を揺らしながら
薬玉を囲むように鳴らしてゆっくりと歩きます。
叩くわけではなく、儀式のメイン舞台まで歩くときに
その歩く振動などで鳴る音が、この音です。


明治維新まで続いていたそうですが、
この鐘は、楽器で演奏しているという概念はなく、
人間がコントロールし得ない、偶然鳴る音であることが面白いと思うのです。






以前の響会で、藤原氏がつくった風鈴のもととなる
「風鈴(ふうれい)」のお話をしましたが、
調べてみると、この鐘の音には
魔除けとか神聖なきれいなものを包み込むという
解釈があるのではないかと考えています。


日本の文化というのは、こういう叩く鐘の音ではなく、
人間が手を加えない自然に鳴る音に対して、
自分を清めるという感覚を強く持っているのではないか。
揺らいで鳴る音、ぶら下がって鳴る音について、
時代が変わってもどうしても惹かれてしまうものがあるのではないか、
と思います。







音楽の「楽」の話ですが、
この楽という字は草冠がつくと「薬」になるのが面白いですね。

帝が音に守られながら行事が進んでいく、
いわば鉦の音が結界だと思うんですね。
尊いものが現れる事を「御生れ(みあれ)」といいますが、
現れる、あらたまる、新たに生まれる、
つまり再生した帝が配って歩くことはおすそわけ、
これはお年玉と同じですね、くす玉をいただくので、
魂をいただくという意味があったようです。









「くす」は「奇(く)し」で、
「くさい」とか「くすぶる」とか「くすぐる」
などとも通じるようです。
「奇しくも」とか「くせ」なども
その流れだと思います。
「臭い」というのは今では
余りいい香りを思い浮かべませんが、
かつては特別な香りのことだったのだと思います。
楠瀬さんの「楠」もそうですが、

楠木には樟脳にもなる香りがありますね。
薬にもなるその奇(く)すき香りを
そう読んだのではないでしょうか?
かつては神呼ばいをする時に生け贄を燃やしたり、
香を焚いたりしました。








平安時代、節句は節会(せちえ)と言っていました。
いわゆる端午の節供は、中国から伝わった風習ですが、
そもそも日本にも田植えの時期に、
禊(みそぎ)をする風習があったわけです。


先ほども言ったように草冠がつけば「薬」になることからも、
「楽」自体にも薬のような効果が
あったのではないかと考えられますね。
シャーマンが足首や腰に鉦をつけ、踊るとそれが鳴り響きます。
病気になると言う事は悪い霊が憑いたとされ、
そのために音で魔を祓うという事は
色んな民族がやってきたことのようです。





今でも薬玉は「くす玉」という形で残っていますね。
それにしても、いつから「新幹線開通」というくす玉に
なってしまったのでしょうか。
間違っているようにも思えますが、間違ってはいないのです。
これは交通事故が起こらないようにと先に約束させるもので、
「予祝」と言いますが、日本には、祈りを先にして
ご加護を約束させてしまう、
先取りの文化であるのが面白いところです。
このような行事はたくさんありますよ。




菖蒲にこだわる理由は何か、というのも気になるところです。
日本の昔話をひも解いてみると、ひとつは香りにありそうです。
蓬(よもぎ)や菊などもそうですが、香りがあるものには
「祓う」という意味があります。
あとは形ですね。
例えばアヤメの細長く剣のような葉を剣の形に見立てるなど、
植物の何かにあやかって
その力をもらいましょうというのが理由になっているのです。
江戸時代になると兜を飾りますが、
あれはじつは、防護するための武具ではなく、
菖蒲、アヤメなどの花の形を見立てているんですね。






そういった植物と鐘の音には、
関連性はあったのでしょうね。
鐘の意味もアヤメの意味も、
行き着くところは同じなのかもしれません。


鉦の音で祓う、菖蒲の香りやその形で魔を祓う、
お風呂に入ってその力を身体に身につける、
又は酒に浸してその力に肖る、
皆がして来た事を受け継いですることで祖霊とも
出会うことができる、沢山のものに肖って、
そんな時間を私たちは作ってきました。
移ろいの早い季節の中で、行く季節を惜しみ、
新しい季節を迎える時間を敢えて作って来たのだと思います。


おとずれる(おとづれる)という言葉があるように、
音が何か(神様)を連れてくる、
そこは空洞なんですね、音が中で響く。
基本的に「音」という漢字の下の部分は
「口(サイ)」という器で、
そこに何か願い事を入れて使う器のことを言います。
「言」という字は、入れ墨用の針である
「辛(しん)」という字が、
口(サイ)に立ててあるかたちですが、
もし自分の言葉に偽(いつわ)りがあれば
入れ墨の刑を受けることを神に誓い、祈る、
ということなのです。それほど言葉とは重いものだった。








その祈りに対して神様は、
夜、静かな時間に器「口」(サイ)の中で
かすかな音を立てるのです。
その音を聴けるのは限られた人たちではありましたが、
誰しもこうした能力は持っているような気もします。


そこでいうかすかな音というのは、
聴覚で聴いている感覚ではないのでしょうね。
音階とかではない解釈の問題ですよね。


恣意的に音を出すことで何かを敬うとか、
それによってこちらの意思を神に届ける
ということもあったでしょうね。
待つ事もしますが、その前にお供えをしたり、
香を焚いたりして迎えに行くという事もあります。
つまり「場」をしつらえる。
そう考えると、確かに「お供え」というものは
意味があるように思います。
音も香りもお供えも、願いを叶えてもらったり、
指針を示してもらうために天に喜んでもらい、
その音連れを期待する方法だったのだと思います。






それにしても、届けるって、
相当遠い距離のことを言うのでしょうね。
音にしないと届かない、
あるいは音にするから距離が生まれる、
そんな音の見方もあるかもしれません。


ふと思ったのですが、
遠近(おちこち)と音には関係があるかもしれません。
「をちとこち」「をととこと」は対応関係がある?
遠いところに対する音信、見えないものを聴くのが音である、
とも言えるかもしれません。


あともうひとつは、
ぶら下げられて自然に鳴る音に面白さを感じています。
人間の力ではなく、自然に発せられた音であるという点は、
立体的な空間をつくるというか…。


自然の移ろいとか、そういったものをどう察知するか、
そういったことを具現化したのが音なのかもしれませんね。
花も空間を立体化するということだと思いますが、
音も、どう立体化するのか、
そこはとてもクリエイトなことを考えていたんだなぁと思います。







【第二部】


土谷貞雄さんをファシリテーターに、
楠瀬さんと塚田さん三者での対談形式で進みました。




<どれだけニュートラルな状態をつくれるか>


土谷:
第一部はとても盛り上がって、
それぞれの頭のなかで
いろんな思いがあるんじゃないかと思いますが、
第二部ではそもそも音って何だろうということを
考えてみたいと思います。


前回の響会でもそんな話が出ましたが、
音というのは見えないものを形にしてくれているのではないか、
ということです。
空気、エネルギー、兆し…まったく何もない状態に、
音が何かを伝えてくれる、
これは凄いことなのではないかと思うのです。
無意識という言葉があるように自分を空っぽにして、
感度を高めておかないと感じることができないのでしょう。


また今回は、吊るして自然になる鐘の音ということで、
受け身の音ですね。
音には向かっていく音、受け身の音があるように思います。
どちらにしても、行き着くところは一種のトランス状態、
ニュートラルな状態で、
このニュートラルな状態というのは人間にとって
一番強い状態なのではないかとも思います。
座禅を組んだりしますが、
音というものをつかうと意外と早く
そこに到達できるかもしれないですね。


みなさんいかがでしょう?







塚田:
音楽の「楽」という漢字は、
シャーマンが持つ楽器の形なのだそうです。
もしかしたらでんでん太鼓のようなものが
もとになっているのかもしれませんね。
それから「音」で「口(サイ)」という話をしましたが、
器ということは、
入ってしまったら一回一回リセットする必要があるわけです。
自分自身がアンテナとなって入ってくるものを受け取る必要がありますよね。
からだというのはそもそも「空(から)」なわけですからね。

土谷:
空にするから入ってくる、
その空の状態をどれだけ作れるかということですね。


<人の持つ記憶というもの>

楠瀬:
音を扱っていてよく思うのは、音ってなぜか、
どこかで聴いたことあるなぁとか、
何かを思い出させることが多いですね。
いい音というのは、何か思い出す感じがします。

塚田:
自分の忘れたもの、ことが照らされるような感じですね。

土谷:
そう考えると人間のなかにあるDNAのような
ずっと続いているものが、
空気や植物や土…、自然のしくみの中に
刻まれているものと同じだとすれば、
そういったものを感じ取ること自体が
「記憶」なのかもしれませんね。

聴いたことはないけど聴いたことがある
かすかな記憶というのは、
じつは自然との協調の意味があるのかもしれませんね。

先ほど遠近(おちこち)という言葉が出てきましたが、
音というのは時空を超えることができるかもしれません。
自由自在に、
例えば400年前とかの記憶に飛んでいけたりするのでしょう。
知らないのではなくて、人間の原点として、
からだとしては知っていることなのかもしれないですよね。






楠瀬:
知っているんだと思いますね。

塚田:
生け花をやっていて面白いのは、
何かこう、間というか隙間みたいなものがあって、
そこに新しく生まれてくることなんですね。
植物によってエネルギーが違って、
それは花の記憶かもしれませんが、
こちらが意識していないことが出てきたりするので、
植物も何かを引き出しているような気がします。

土谷:音を聴いていて思うのは、
その間、隙間みたいなものが均一ではないということですよね。
時間の流れが一定ではないということに
気づくのが音の世界で、
普通に過ごしてしまうとただ過ぎてしまう時間が、
音というのものに気づくよって
音の高さとか長さとかがどんどん変わって、
その隙間が広がっていく。
だから同じ時間がすごく広くなるし深くもなる。
そんなことが感じられるようになるのが
音なのではないでしょうか。

塚田:呼吸をするということを考えてみると、
吸って吐く、吐くときには話すと聴こえるけど
吸っているときは声が出ない、つまり聴こえないですよね。
でも、たしかにある。
半分の月は、目には半月ですが、もう半分が見えないだけ。
自然の作用というものには、こういった両面性があるのかもしれません。


<東洋人の持つ音を聴く感覚>








土谷:
この間じつはバリに行ったのですが、
朝までずっとケチャをやっているんですね。
観客の問題ではなくて、彼らがトランス状態に入っていくんです。
人間的な、いわゆる属的なものを離れていって、
彼らはシャーマンとなるわけです。
とにかくただ、それをやり続ける。
吊るしているものが鳴るのとは別に、つくっていく、
向かっていく形ですね。


楠瀬:
独特ですよね、東洋人の持つ「反復」というのは。
お経もそうですね。
反復することは何かの大切なメッセージのような気もします。
同じことを何回もやったほうがいいとか。

塚田:
「型」にも通じるものがありそうですね。
能という伝統芸能がありますが、
能はすべて型で表現されているのだそうです。
情感を込めると芝居になってしまうのだとか。
生け花で型の大切さを言われてきたのですが、
最近やっとわかってきたような気もしているのですが、
伝統芸能が何百年も続いているのは型があるからかもしれませんね。

土谷:
僕は剣道をやっていたのですが、やはり型。守・破・離という型です。
最近、型って何だろうと考えているのですが、
ひとつには知識の体系化、基本というのがあるのでしょうが、
本当は創造的になるための一番の基礎なのかもしれませんね。

それから、以前誠志郎さんから聞いたのですが、
音楽っていうのは、始めに音があってそれを模倣して音楽ができた。
だから音楽を聴くっていうことと
自然の音を聴くっていうことはじつは同じなのだと。
例えば、鳥が鳴く声を聴いているから音楽ができた、
ということでしたね。

楠瀬:
例えば、ケチャはそもそも、夜の蛙の声ですよ。

土谷:
そうそう、先日バリに行った際に
ジャングルビラに泊まったのですが、
夜の間じゅうずっと、蛙やトカゲの声がずっと響いていて、
それが朝の5時半ぐらいになるとピタっととまって、
そこから闇がすごい深さで消えていったあと、
静寂のあとに、鳥たちが一斉に鳴き始めるんです。
これはもう幻想的というか、夜から朝になるとき、
生命が沈んで命があらたに生まれる瞬間というのを感じました。
音もそうですが、音に合わせてエネルギーがいつも変わっているけれども、
そこには変わる瞬間というものがありますよね。
まさにリセットする瞬間というか。








塚田:
世界の果てという「果て」は、
「初(はつ)」と同じなんですね。
つまりは、世界の果ては始まりと一緒。
そこが境界なのかもしれませんね。
花が咲いてその果てに実がなる。それを果実といいますが、
「耳」は実(み)のことです。ふたつあるから「みみ」。

楠瀬:誰が合図しているんでしょうね、
誰かがコンダクトしないと、
一斉にリセットするなんて不可能ですよね。それが知りたいですね。

土谷:鳥の大群が右に行ったり、左にいったりするのと同じように、
そこには見えない自然のエネルギーが存在するんでしょうね。
何かは分からなくとも、音に耳を傾けてみることによって、
起きている何かに近づけるような気がしますね。
少なくとも、鳥が一斉に鳴き始める5時半に、
その瞬間に、心を合わせることはできそうな気がします。










2012年6月26日火曜日

【響会Vol.3】今回のお響書





響会Vol.3 今回のお響書



「端午の節供の薬玉(くすだま)」

くす玉というと、現在は建物の落成記念や、何かの大会の開催を祝って、
玉につけられた飾りひもを引くと玉が二つに割れ、
中に入っていた花吹雪や垂れ幕が登場するという、「くす玉」が思い浮かびますが、
本来は

くす玉 → 薬玉

で、蓬(よもぎ)や菖蒲(しょうぶ)や
その他の香草、香料、薬草を錦の袋に詰めて丸く作り、
その下に五色の糸を垂らしたものをそう呼びました。
香草や薬草を摘めて作った玉ですから、まさに薬玉だったわけです。








◇端午の節供と薬玉

薬玉は元々端午の節供に柱に飾り、
その香りによって邪気を祓うためのもので、中国から伝わった風習です。
現在の「くす玉」では玉を割るための仕掛けひもとしか見られないあのひもも、
本来は「五色の糸」で古代中国において森羅万象を形作る
五行が調和した状態を表すものでした。

端午の節供と言えば、野山には草木が生い茂る時期。
野に出れば、香草、薬草の類も姿を現し、そこかしこで見つかる時期でしたから、
こうした香草、薬草の類を集めて薬玉を作るのにはよい時期でした。

また、旧暦時代の「五月」は梅雨の時期で、
ものが傷みやすく、病気にもなりやすい悪い気の多い月だと考えられましたから、
そうした悪い気(邪気)を祓うために、
香り高い薬玉が使われたものと考えられます(邪気は芳香が嫌いらしい)。

中国から伝わり、宮中でこの「薬玉」を飾るようになりましたが、
初期の頃の薬玉は極めて質素なもので、
五色の糸に蓬や菖蒲を貫いたものに過ぎなかったそうです。
それが次第に美しく飾られるようになって、
現在の「くす玉」にまで至ったようです。

さて、現代のくす玉ではなく本来の薬玉は宮中の柱にかけ、
また身につけるなどして邪気を遠ざけました。
そして九月九日の重陽の節供には香りの薄まった薬玉を
重陽の節供に作った新しい茱萸袋(しゅゆぶくろ)に取り替えました。
薬玉も茱萸袋も共に芳香の漂うもの。
どちらもその芳香によって邪気を祓う呪いでした。

現在の五月は、初夏の気持ちのよい季節で
「邪気の満ちる月」という感じはありませんが、
気持ちのよい季節で野遊びには最適の時期でありますから、
機会があれば野原で香草、薬草を集めて薬玉を作り、
家族の一年の無病息災を祈って、
家の柱に飾ってみるなどしてもよいかも知れません。

(参考:WEB サイト「暦のこぼれ話」より)

風鈴は音で邪気を払い、薬玉は芳香で邪気を払うのですね。
皆さんも「邪気を払う」という観点で、
風鈴や薬玉に触れられてはいかがでしょうか?





◇今回の音について

平安中期、武徳殿(ブトクデン)にて始まった儀式で
皇族の安否を祈ったものが日本では最初だそうです。
それが時代と共に形を変え「薬玉」という形になったらしいです。
鐘の合奏はその儀式の時から存在していて、
形は変わったけれども音だけは残ったというのが説になっているようです。

(フィールドエンジニア 安倍均さん)

鐘(名称不詳)
約4メートルの竹に4本の鐘がぶら下がっていて
それを揺らしながら薬玉を囲むように鳴らして
儀式のメイン舞台までお供をしたものらしいです。
その鐘自体は現存しています。
また、同様の手法がチベット仏教にも全く同じ解釈で存在してます
ここにも何かヒントがあるような気がしています。







2012年6月10日日曜日

響会 Vol.2 抄録




【この日の響書】

春の内宮ひばりと五十鈴川

伊勢神宮内宮の上でしか鳴かないといわれる春の内宮(ないくう)ひばりと五十鈴川のせせらぎの音


【第一部要約】

内宮ひばりという鳥は、内宮の上でしか鳴かないのです。
内宮の上では、鳩は鳴きません。
それはどうしてなのでしょう。

何かを受けて音を出す、何かを感じて音を出す、ということではないでしょうか?

五十鈴川の音は一日のうち何回か変わるのですが、
内宮ひばりの歌い方も、それに応じて変化するということなのかもしれません。

あるいは、気持ちよくて音を鳴らす(鳴く)という説もあるようです。
内宮に来ると気持ちがよくて鳴く、ということもあるかもしれません。

ひばりの語源を調べてみると、ひばりのひは太陽、ばりは張る、春の語源でもあるはつる。
春の朝の太陽のもとで鳴くシンボルでもあるのです。
内宮とは天照(あまてらす)ということ。
偶然かもしれませんが、天照とは太陽のことですね。
ひばりは神様の謙虚さ、強さのようなものと関係があるのかもしれません。

ここにしかない音があるというのは不思議なことです。
おそらく地形ということも関係あるのでしょう。
例えば神社では、鐘の音がどう地形を伝わって聴こえるのか、その調整をしていたはずです。

いずれにしても、耳を澄ますという行為を忘れがちですが、
このような機会に、日本人が長けているはずの「音」を聴くということをあらためて思い出してみる
ことも必要だと考えています。




【第二部】

土谷貞雄さんをファシリテーターに、楠瀬さんと塚田さん三者での対談形式で進みました。



 

場所の音はその場の人間が作り出すもの

土谷:第一部では、誠志郎さんは、場のエネルギーとか、何かを受けて発するものが音なんだ、という話が面白かったですね。花も、花を活けている塚田さんも素晴らしいけど、同時に、ここにいる皆のエネルギーを受けて何かが生まれているのだと思う。そう考えると、音というのも、いい音を聴いているかもしれませんけど、いい音を作っているのも僕らかもしれませんね。だから、僕らがいい音に向かっていかないと、いい音は作れない。そんな中で、鳥というのは、最も感受体として訓練されていて、その場のエネルギーを声にする事ができるのかもしれないと、そんな風に思いながら、聴いていました。

だから、音というのは、僕たち人間にとって、何か見えないものを見せてくれる装置なんだと考えると、これは面白い。鳥や自然界の、人間よりそういう点で優れたものによって気づかされている。また、自然の中に入って散策していると見えないけど、達人が庭を作って、それに対峙してみると、自然よりも自然を感じさせたりする。今日もここに皆が集まって音を聴いているけど、自然の中にいると逆に聴こえないかもしれない。だからこうやって静かに聴く事によって訓練されていくのかと思う。

塚田さん、皆の中で、この音を聴きながら活けていてどうでしたか?

塚田:普段、活けていて思うのは、その植物から何か引き出されるものもありますし、逆に人が何か植物から引き出す事もありますし、その間にできる事だと思うんです。今回ライブでやらせてもらったのは初めてなんですが、見ている方のちょっとしたしぐさとか表情とかを見て安心したりしながら活けていましたね。
 
自然を囲い、切り取る事によって、引き出されて、逆に自然を感じる事ができるという役割というか、技術みたいなものが庭とか、花だったりするかと思います。

楠瀬:僕は音の整う空間が身体的に楽なんです。一番身体の流れがいいところに誘ってもらえるような。逆に音の整ってない空間はちょっと。ボリュームではなくて。

だから僕は、現実的にはいろんな音がある場にいるのですが、音を整える事によって出てくる力を日常的に活かしてます。音を整えて、ヨシっていう勢いづけをしたりとかいう事をやっています。

塚田:昨日、ここで友人の井上鑑さん(アレンジャー)がレコーディングしてくれたんです。彼は、凄く音がいいねって言ってくれたんですが、たぶん気持ちいいと思う空間というのは音がいいよねと言ってました。

土谷:この空間が音響的に凄くいいとは思えないんだけど、塚田さんがずっと使って来たからじゃないですか。その力が宿ってる。僕は家の事をやってますが、家の良し悪しは、設計の良し悪しじゃなくて、住み続けて使いこなしていく、丁寧に掃除して生活するという積み重ねです。住宅ではないけど、建築の原点は教会です。
 
音というのは、見えないものを見せてくれるものだと思うんです。気づかないものに気づかされたり。



東洋人の音感覚と身体感覚





塚田:神社とか御獄(うたき)とかは、森があって、広場があって、ぼっかりとそこで音が消える。サウンドスケープを作っている。教会も、ケルトの古い森では、木立に囲まれた中の石屋が建築になって、大きい石が祭壇、大きい木が柱になっている。そこで森の再現をするんです。

土谷:音が消えるというのは面白いですね。夜から朝になる瞬間、夢から現実、そこに境目がある。空間の隙間があって、そこでリセットされる。生活の中から森になる、現実から闇の中に入る、その境目に結界がある。その結界を感じるときに音が消えるというのは、共通してる。

楠瀬:土谷さんが今話してる事自体が日本人の凄い力ですね。外国人はドの次はレですから。彼らには、その間に何もないんです。日本人はそこにからめだとか、色っぽさだとかいろんなものを入れて見ていく。

だから、西洋音楽的な音楽教育ではなくて、東洋音楽の考えで西洋の音楽をやったら、もっと日本のオーケストラは成功したと思います。これがカラヤンの教えですよというやり方ではなくて、日本人はそういう分解能力が凄く強いですから、そこから入っていくと強い。

土谷:響道ですが、僕らはその訓練を重ねると、今日のヒバリの声はとかわかるようになるかもしれない。

僕は、上野の不忍池の蓮の花が咲く音がするという話を聞いた事があります。それが3時45分だという。ところが、何回行っても聴けたためしがない。そこには、その音を聴きにくるマニアがいて、尋ねてみても、聴いた事があるという人の話を聞いた事があると。でも、みんながそういうんです。

もし、僕らが響道の達人になると、蓮の花の咲く音を聴けるようになるんじゃないかと思う。僕らが身体的能力をもっと自然に戻していけば、日本人の能力はもっと向上すると思うんです。それを忘れてしまって、身体じゃないところの知識を重んじているけど、実は身体的な知識というのは凄い「知」だと思う。生きる知恵もそうだし、人間としての創造性もそう。

楠瀬:今日の塚田さんの活け花を、目で見るんじゃなくて、ここに来て身体で見る感覚が、日本人は上手。受ける事がもの凄く上手な人種であると思う。でないと、音に対してこういう美学が生まれない。


鳴っていないものを聴く





塚田:フラワーアレンジというのは、立てるという事です。花というのは、「はなつ」だし「はなれる」だし、花として寂れる事で存在感を放っているわけです。

立てるというのは、クリスマスツリーもそうですが、ここですよという寄り代(よりしろ)を立てる事なんです。メディアです。鳥居も同じです。諏訪神社が御柱を立てるとか、それによって、そういう場所だよとメッセージを出している。

土谷:メディアというのは、ここだという印だけじゃなくて、そこにエネルギーがあるんだよね。小鳥とかには見えるエネルギーの場を作っている。大きな木とか大きな石とかには、大きなエネルギーが隠れていると思うんです。

楠瀬:たぶん、音が鳴ってるけど僕たちには聴こえないんじゃないかな。小鳥には聴こえるけど。

土谷:たぶん、響道にあと30回位来たら聴こえる(笑)。
そういう、聴こえないものを聴こえるかもしれないとするのが大事。

楠瀬:究極は、鳴ってないものを聴く。修行ですが。そこに、日本人独特の音のあり方、能力のあり方がありそうな気がします。潜在的に持っている。

土谷:今日は、音を聴いて花を見るという事で、見えないリズムを合わせてる、この花を理解しているという事になっているかもしれませんね。今日は花を活ける事で、音がこんなに強い力を持っているという事を感じましたね。

楠瀬:おそらく、ベートーベンが流れていたら、こうはなりません。(笑)

塚田:いろんな要素があるかと思いますが、「惜しむ」という事が日本の中心的コンセプトだと思うんです。月もそうです。月が見えない日も月はあるわけです。月は欠けていくけど、また丸くなる、そういう期待感もあります。


会場の皆さんから







石井宏子さん(温泉ビューティ研究家):先日、伊勢神宮に行ってきました。そこでは、全く同じ建築物を20年後に隣の土地に建て直す。その意味は、伝統を継承するという意味もあるらしいですが、新たに生まれ変わるというエネルギーを産み出していて、そのエネルギーをヒバリが受けて、特別な声で鳴いているのかなと思いながら聴いていました。

井上岳一さん(経営コンサルタント、森のプロフェッショナル):木は、地下から水を吸い上げて、葉っぱから蒸散しているわけで、大地のエネルギーを吸い上げて、上に上げているという事になります。

伊勢神宮は、内宮が中央構造線という断層の上にあります。そこの上にあるという事は、エネルギーが上がりやすい、特殊な地場にあると思います。伊勢神宮の本質は柱が4本の上に器をかぶせているだけという構造です。だから、柱が地場をすうっと吸い上げているところなんじゃないかと思います。

その地場の変化を動物は感じると。その動物の中でも、鳥というのは、古代ギリシャでも日本の古代でも、鳥占いというのがあります。鳥の動き方や鳥の鳴き方によって占うんです。地場などを一番感じやすい生き物です。

伊勢神宮は本当に特別な場所です。日本のおへそです。お伊勢参りという、踊り狂うのがありますが、その翌年には必ず大地震が起るという説があります。
 
音というのは震動で、生きているものは全て震動しているわけだから、音を発しているはず。死んだ後でも聴覚だけは残っているという説もあります。自分が生命としては亡くなって物質に近くなっても、震動として感じとれるんじゃないか。共鳴するんだと思う。
 
もう一つ科学的な話を言うと、脳科学者が言っている事ですが、日本人とモルジブのどこかの民族、2つだけが鳥の声や虫の音を左脳で聴くらしい。他の民族は全部右脳で聴く。だから言語として聴いている訳です。これは日本語の母音の特殊性らしいんですが。

楠瀬:日本の音って、ぱんという独特の意識があるんです。西洋音楽は横のぐ〜んという流れがあるんです。日本人はそういうメロディの作り方をしない。日本は「ぱん」とか「ちん」とか、一発ものの縦の意識なんです。
 建築でもなんでも縦ってなんだろうと考えると面白いものができてきそう。ステレオでもLRでなくて縦の音がこれから面白い。

土谷:縦というのは隙間があるということですね。隙間というのは大事で、隙間のあるところに場ができる、それから、カミは隙間のあるところに降りるといいますね。実体のあるところじゃなくて、隙間のところに日本人の能力を高めるヒントがあるんじゃないかと思います。




2012年5月18日金曜日

響会 Vol.3 告知




響会も3回目になりました。
場所を緑にあふれる神保町リムグリーンに移しての記念すべき1回目です。
6月24日は旧暦で端午の節句。
今回はどんな音の響きを楽しんでいただくのか?
当日をお楽しみに。

月日:6月21日(木)
時間:19:00開場 19:30スタート(21:30終了予定)
場所:神保町 リムグリーン
東京都千代田区西神田2-4-1 東方学会本館3階33-2号室
定員:20名

トーク:楠瀬誠志郎、塚田有一
ファシリテーター:土谷貞雄

料金:3,000円(季節のお茶、音にゆかりのお酒&おつまみ付き 当日徴収)

内容:
・音鑑賞
・トークセッション
・生け花

ご参加希望の方は、下記フォームよりお申し込みください。
https://docs.google.com/spreadsheet/ccc?key=0AqKvqzrUj41adC15UlpDb0h4QjNFVGk3bjNCSFVQLWc#gid=0

お問合せ:氏家 ujiie_k@toshi-arc-design.jp
当日のご連絡先:氏家 080-5067-0901 森脇 090-7250-3279


2012年5月3日木曜日

響会スタッフからのメッセージ


響会スタッフからの「響会Vol.2」に関するメッセージをご紹介いたします。


みなさんありがとうございました。
今までやってみようという気にならなかったのですが、初のライブ、裏活け。
五十鈴川と内宮の上で鳴くという雲雀のさえずりの音の中、
会場に脚を運んでくださった皆さんに見守られながらリラックスしてできました。
花を立てるのは、柱立てと同じで、そこに原郷とか常世とか、「ほか」を引き寄せる技術です。
引き寄せたそれに、どんな想いを託すのか、どんな夢を見るのか、
何を惜しむのか、耳を澄ませてなにかの「音連れ」を聴くための、
これは小さいけれど「舞台」になります。 / 塚田有一


本当におもしろかった。
音とは何かを受けてそれに呼応するもの、環境や人の波動をわかりやすく伝える道具なのだと。
塚田さんのインスタレーションと会場との波動が一体になり音も変わってくる、
目に見えない物を意識する時間、聞こえない音に耳を澄ますとき、音の感覚が広がり、
耳から聞こえる音ではなく体で聞こえてくる音があることに気づいてくる。
体で感じる音を発見することが響会の楽しいところだ。
塚田さんの温室、かれが手を入れ育て続けた会場にもかれの波動が広がっていた。
最後のイベント、はかなく美しいイベントだった。 / 土谷貞雄



前回の「南部風鈴」に続き、面白かったですね。
毎回、新たなトライをし、新たな出会いがあり、新たな気づきがあります。
「響く」というのは、「聴こえる」と違って、自分も振動するという事ですよね。
心に響くといいますし。
音を聴きながら、花を愛でながら、同時に自分の心も動きも感じている。
そんな素敵な空間でした。
皆さんにも、「温室」にも、感謝! / 森脇康晴



今回も、音が場所を作り出していく光景をはっきり見ることができました。
残すべき音の歴史、日本語の成り立ち、そして、日本人の身体性まで。
花という要素も加わり、音の響きと共に響会で聴くこと、語ること、表現することは、
まだまだ深まりそうです。
参加の皆さんの音も、ぜひお聴かせください。 / 氏家滉一



温室を惜しむ日に、音を通してその場を提供することにかかわれ、
本当に優しく、幸せな時間でした。
ありがとうございました!
内宮ひばりの謎も、中央構造線上に伊勢神宮があることによる磁場の乱れ(ゼロ磁場?)、
あるいは大木に流れるエネルギーに呼応しているのではないかというお話に、
妙に合点してしまいました。
そこにも「音」があった、というには語弊があるのでしょうが、
そこにも振動、波動がからんでいるのでしょうね。
どうやら諏訪大社も同じような立地にあるようです。
もしかしたらまた不思議な鳥がいるかもしれないな、
とワクワクしている自分がいます。
地震列島という土地がそうさせたのか、
見えない波を感じる力が日本人には宿ってきたのかもしれませんね。 / 石山仁


まず「響き」を多くの方に感じていただける機会が広がっていることに感謝申し上げます。
土谷さん、塚田さん、楠瀬のトークはいつも時間を忘れてしまいます。
光と、音と、花と。「温室」は本当に美しい空間でした。
お運びいただきました皆様、スタッフの皆様ありがとうございました!! / 嶋貫郷子


とても面白かったです。
今回もまた多くの刺激を受けました。
何かに呼応しての音であるということ、
その何かとは見えるものでも聴こえるものでもないということ。
普段の生活で忘れてしまっている「耳を澄ます」という行為を通して、
心が澄んでいく実感を得ることができました。
また、塚田さんのお花をいけるインスタレーションでは
花が温室という空間のなかに立つ瞬間を肌で感じることができました。
塚田さんの所作はもちろん、だんだんと立体的にいけられていく過程に
見惚れてしまいました。 / 増村江利子


2012年5月1日火曜日

響会Vol.2を終えて~楠瀬誠志郎


音遺産メンバー楠瀬誠志郎です。
先日28日(木)に開催いたしました「響会」に
お忙しいところ足を運んで下さいました皆様にこの場をお借りしまして心よりお礼を申し上げます。
ありがとうございました。


僕が音というものに興味を持ったのは
小学校の低学年の時、12時頃遠くの空を横切るセスナ機の音でした。
青い空の中を何とも可愛らしい一生懸命な音がゆっくりと空から降ってくる、その心地好さで一切授業のことなど頭にありませんでした


その後、作曲家と道に進み「音楽生理学」という作曲法のひとつにある分野に出逢いました。
音には全て波形(音の持っている独自の周波数)が存在している。
その波形によって人間という生命体はいろいろなイメージを捻出するという分野です。故橋本教授の研究に参加出来たことは
僕の作曲法に膨大な影響を与えて下さいました


セスナ機もそうですが、セスナ機の音がいいのではなく、その音が大気に流れ、風に揺られ、気温の中を泳ぎ数々の条件を得て
僕たちの耳に届いています。
その条件の中に文化、サイエンス、思想などとても興味深いものが存在していました。


日本という国は、そこにとても美学を持っている人種です。
除夜の鐘、風鈴、雨だれ、ほら貝など音の中に独特の思想を産み出しました。
きっと昔の人は相当感度がよかったのでしょう。
音の鳴りだけではなく、きっとその波も感じ取れていたのかも知れません。


日本にはとても奇麗なまた意味のある音がたくさん存在しています。
音遺産協会ではその音のありがたみを知り、優れた現代人の新しい感性と知性を覚醒させその音を次世代に継承出来るように守ることが僕たちの使命と思い活動しております。


今後も
日本の音が持っている使命
日本が持っている音の文化
またこれからの日本に於いて音とどう付き合っていくことがよいのかを
皆様をお招きして、いろいろなご意見を頂ければ、こんなに嬉しいことはありません。


音はただ聞くだけのものではけしてありません。
そこから僕たち現代人が学び得るものが多く在ります。


「響会」に集まられる感度の優れた方と是非日本の音のシルクロードについて今後もご意見を頂きたく、また一緒に学び「美しい音の国、日本」を創造したく思います。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。


代表
楠瀬誠志郎