【この日の響書】
春の内宮ひばりと五十鈴川
伊勢神宮内宮の上でしか鳴かないといわれる春の内宮(ないくう)ひばりと五十鈴川のせせらぎの音
【第一部要約】
内宮ひばりという鳥は、内宮の上でしか鳴かないのです。
内宮の上では、鳩は鳴きません。
それはどうしてなのでしょう。
何かを受けて音を出す、何かを感じて音を出す、ということではないでしょうか?
五十鈴川の音は一日のうち何回か変わるのですが、
内宮ひばりの歌い方も、それに応じて変化するということなのかもしれません。
あるいは、気持ちよくて音を鳴らす(鳴く)という説もあるようです。
内宮に来ると気持ちがよくて鳴く、ということもあるかもしれません。
ひばりの語源を調べてみると、ひばりのひは太陽、ばりは張る、春の語源でもあるはつる。
春の朝の太陽のもとで鳴くシンボルでもあるのです。
内宮とは天照(あまてらす)ということ。
偶然かもしれませんが、天照とは太陽のことですね。
ひばりは神様の謙虚さ、強さのようなものと関係があるのかもしれません。
ここにしかない音があるというのは不思議なことです。
おそらく地形ということも関係あるのでしょう。
例えば神社では、鐘の音がどう地形を伝わって聴こえるのか、その調整をしていたはずです。
いずれにしても、耳を澄ますという行為を忘れがちですが、
このような機会に、日本人が長けているはずの「音」を聴くということをあらためて思い出してみる
ことも必要だと考えています。
【第二部】
土谷貞雄さんをファシリテーターに、楠瀬さんと塚田さん三者での対談形式で進みました。
場所の音はその場の人間が作り出すもの
土谷:第一部では、誠志郎さんは、場のエネルギーとか、何かを受けて発するものが音なんだ、という話が面白かったですね。花も、花を活けている塚田さんも素晴らしいけど、同時に、ここにいる皆のエネルギーを受けて何かが生まれているのだと思う。そう考えると、音というのも、いい音を聴いているかもしれませんけど、いい音を作っているのも僕らかもしれませんね。だから、僕らがいい音に向かっていかないと、いい音は作れない。そんな中で、鳥というのは、最も感受体として訓練されていて、その場のエネルギーを声にする事ができるのかもしれないと、そんな風に思いながら、聴いていました。
だから、音というのは、僕たち人間にとって、何か見えないものを見せてくれる装置なんだと考えると、これは面白い。鳥や自然界の、人間よりそういう点で優れたものによって気づかされている。また、自然の中に入って散策していると見えないけど、達人が庭を作って、それに対峙してみると、自然よりも自然を感じさせたりする。今日もここに皆が集まって音を聴いているけど、自然の中にいると逆に聴こえないかもしれない。だからこうやって静かに聴く事によって訓練されていくのかと思う。
塚田さん、皆の中で、この音を聴きながら活けていてどうでしたか?
塚田:普段、活けていて思うのは、その植物から何か引き出されるものもありますし、逆に人が何か植物から引き出す事もありますし、その間にできる事だと思うんです。今回ライブでやらせてもらったのは初めてなんですが、見ている方のちょっとしたしぐさとか表情とかを見て安心したりしながら活けていましたね。
自然を囲い、切り取る事によって、引き出されて、逆に自然を感じる事ができるという役割というか、技術みたいなものが庭とか、花だったりするかと思います。
楠瀬:僕は音の整う空間が身体的に楽なんです。一番身体の流れがいいところに誘ってもらえるような。逆に音の整ってない空間はちょっと。ボリュームではなくて。
だから僕は、現実的にはいろんな音がある場にいるのですが、音を整える事によって出てくる力を日常的に活かしてます。音を整えて、ヨシっていう勢いづけをしたりとかいう事をやっています。
塚田:昨日、ここで友人の井上鑑さん(アレンジャー)がレコーディングしてくれたんです。彼は、凄く音がいいねって言ってくれたんですが、たぶん気持ちいいと思う空間というのは音がいいよねと言ってました。
土谷:この空間が音響的に凄くいいとは思えないんだけど、塚田さんがずっと使って来たからじゃないですか。その力が宿ってる。僕は家の事をやってますが、家の良し悪しは、設計の良し悪しじゃなくて、住み続けて使いこなしていく、丁寧に掃除して生活するという積み重ねです。住宅ではないけど、建築の原点は教会です。
音というのは、見えないものを見せてくれるものだと思うんです。気づかないものに気づかされたり。
東洋人の音感覚と身体感覚
塚田:神社とか御獄(うたき)とかは、森があって、広場があって、ぼっかりとそこで音が消える。サウンドスケープを作っている。教会も、ケルトの古い森では、木立に囲まれた中の石屋が建築になって、大きい石が祭壇、大きい木が柱になっている。そこで森の再現をするんです。
土谷:音が消えるというのは面白いですね。夜から朝になる瞬間、夢から現実、そこに境目がある。空間の隙間があって、そこでリセットされる。生活の中から森になる、現実から闇の中に入る、その境目に結界がある。その結界を感じるときに音が消えるというのは、共通してる。
楠瀬:土谷さんが今話してる事自体が日本人の凄い力ですね。外国人はドの次はレですから。彼らには、その間に何もないんです。日本人はそこにからめだとか、色っぽさだとかいろんなものを入れて見ていく。
だから、西洋音楽的な音楽教育ではなくて、東洋音楽の考えで西洋の音楽をやったら、もっと日本のオーケストラは成功したと思います。これがカラヤンの教えですよというやり方ではなくて、日本人はそういう分解能力が凄く強いですから、そこから入っていくと強い。
土谷:響道ですが、僕らはその訓練を重ねると、今日のヒバリの声はとかわかるようになるかもしれない。
僕は、上野の不忍池の蓮の花が咲く音がするという話を聞いた事があります。それが3時45分だという。ところが、何回行っても聴けたためしがない。そこには、その音を聴きにくるマニアがいて、尋ねてみても、聴いた事があるという人の話を聞いた事があると。でも、みんながそういうんです。
もし、僕らが響道の達人になると、蓮の花の咲く音を聴けるようになるんじゃないかと思う。僕らが身体的能力をもっと自然に戻していけば、日本人の能力はもっと向上すると思うんです。それを忘れてしまって、身体じゃないところの知識を重んじているけど、実は身体的な知識というのは凄い「知」だと思う。生きる知恵もそうだし、人間としての創造性もそう。
楠瀬:今日の塚田さんの活け花を、目で見るんじゃなくて、ここに来て身体で見る感覚が、日本人は上手。受ける事がもの凄く上手な人種であると思う。でないと、音に対してこういう美学が生まれない。
鳴っていないものを聴く
塚田:フラワーアレンジというのは、立てるという事です。花というのは、「はなつ」だし「はなれる」だし、花として寂れる事で存在感を放っているわけです。
立てるというのは、クリスマスツリーもそうですが、ここですよという寄り代(よりしろ)を立てる事なんです。メディアです。鳥居も同じです。諏訪神社が御柱を立てるとか、それによって、そういう場所だよとメッセージを出している。
土谷:メディアというのは、ここだという印だけじゃなくて、そこにエネルギーがあるんだよね。小鳥とかには見えるエネルギーの場を作っている。大きな木とか大きな石とかには、大きなエネルギーが隠れていると思うんです。
楠瀬:たぶん、音が鳴ってるけど僕たちには聴こえないんじゃないかな。小鳥には聴こえるけど。
土谷:たぶん、響道にあと30回位来たら聴こえる(笑)。
そういう、聴こえないものを聴こえるかもしれないとするのが大事。
楠瀬:究極は、鳴ってないものを聴く。修行ですが。そこに、日本人独特の音のあり方、能力のあり方がありそうな気がします。潜在的に持っている。
土谷:今日は、音を聴いて花を見るという事で、見えないリズムを合わせてる、この花を理解しているという事になっているかもしれませんね。今日は花を活ける事で、音がこんなに強い力を持っているという事を感じましたね。
楠瀬:おそらく、ベートーベンが流れていたら、こうはなりません。(笑)
塚田:いろんな要素があるかと思いますが、「惜しむ」という事が日本の中心的コンセプトだと思うんです。月もそうです。月が見えない日も月はあるわけです。月は欠けていくけど、また丸くなる、そういう期待感もあります。
会場の皆さんから
石井宏子さん(温泉ビューティ研究家):先日、伊勢神宮に行ってきました。そこでは、全く同じ建築物を20年後に隣の土地に建て直す。その意味は、伝統を継承するという意味もあるらしいですが、新たに生まれ変わるというエネルギーを産み出していて、そのエネルギーをヒバリが受けて、特別な声で鳴いているのかなと思いながら聴いていました。
井上岳一さん(経営コンサルタント、森のプロフェッショナル):木は、地下から水を吸い上げて、葉っぱから蒸散しているわけで、大地のエネルギーを吸い上げて、上に上げているという事になります。
伊勢神宮は、内宮が中央構造線という断層の上にあります。そこの上にあるという事は、エネルギーが上がりやすい、特殊な地場にあると思います。伊勢神宮の本質は柱が4本の上に器をかぶせているだけという構造です。だから、柱が地場をすうっと吸い上げているところなんじゃないかと思います。
その地場の変化を動物は感じると。その動物の中でも、鳥というのは、古代ギリシャでも日本の古代でも、鳥占いというのがあります。鳥の動き方や鳥の鳴き方によって占うんです。地場などを一番感じやすい生き物です。
伊勢神宮は本当に特別な場所です。日本のおへそです。お伊勢参りという、踊り狂うのがありますが、その翌年には必ず大地震が起るという説があります。
音というのは震動で、生きているものは全て震動しているわけだから、音を発しているはず。死んだ後でも聴覚だけは残っているという説もあります。自分が生命としては亡くなって物質に近くなっても、震動として感じとれるんじゃないか。共鳴するんだと思う。
もう一つ科学的な話を言うと、脳科学者が言っている事ですが、日本人とモルジブのどこかの民族、2つだけが鳥の声や虫の音を左脳で聴くらしい。他の民族は全部右脳で聴く。だから言語として聴いている訳です。これは日本語の母音の特殊性らしいんですが。
楠瀬:日本の音って、ぱんという独特の意識があるんです。西洋音楽は横のぐ〜んという流れがあるんです。日本人はそういうメロディの作り方をしない。日本は「ぱん」とか「ちん」とか、一発ものの縦の意識なんです。
建築でもなんでも縦ってなんだろうと考えると面白いものができてきそう。ステレオでもLRでなくて縦の音がこれから面白い。
土谷:縦というのは隙間があるということですね。隙間というのは大事で、隙間のあるところに場ができる、それから、カミは隙間のあるところに降りるといいますね。実体のあるところじゃなくて、隙間のところに日本人の能力を高めるヒントがあるんじゃないかと思います。