2012年9月24日月曜日

響会 Vol.4 抄録


響会 Vol.4 抄録 2012年8月30日



今回のお響書 「月琴和琴」

【第一部】

氏:

忙しい生活の中、ゆっくりと音を聴く時間を皆様お持ちでしょうか。
五感が優れている、と言われている日本人も、最近はその五感が
鈍ってきたのではないかと感じています。僕たちは、五感の中の
聴覚を使い、音を聴くことで、五感を呼び起こさせてくれるのでは
ないか、そして、日本固有の音にその力がよりあるのではないかと
思い、そのような音を音遺産と名付け、「音遺産プロジェクト」を
立ち上げました。

また、音には場を作る作用があるのではないかという試みとしても、
この響会を開催しております。毎回季節に合わせた音を選び、
皆様にお届けしております。



楠:

僕は音楽を職業にして生きています。音楽というのはただメロディー
を書いているのではなく、音を並べる作業をしています。ある音を
ポンッポンッポンッと並べていくんです。そして、その旋律の前に、
言いたい事をどの音を使って表現するか、という事に物凄くエネルギー
を使います。その過程で感じることは、日本には何故こんなにも
素晴らしい音があるのだろう、ということでした。昔の人のセンスは
凄いなぁ~という興奮でした。

そんな音を皆さんにも聴いていただきたいと思いました。
古くから語り継がれている音にはマジックが隠されている。
音楽、というよりはその一つ手前の「音」というものについて、
皆さんと一緒に勉強していければと思います。五感で言う「聴く」
というよりは「浴びる」という感覚ですね。

では塚田さん、まずは本日のテーマ旧暦の「七夕」について教えてください。

塚:

今年は8月24日が旧暦の7月7日になります。
6月30日に夏越の祓(なごしのはらえ)という、茅の輪をくぐったりして
穢れを祓う行事があります。6月30日なので晦日(みそか)ですね。
それを晦(かい)とも言います。次の日が新月で、それから7日目目、
上弦の月が七夕にあたります。そもそも七夕というのはお盆の前、
お盆につながる行事だったんです。

楠:

では、僕たちが七夕から思い描く短冊といったような、お祭り的な感覚
ではなく、お盆というフィニッシュがあり、そこに向かって存在していた
ものなんですね。

塚:

もちろんお祭りでもありますが、
何故「七夕(しちせき)」と書くのか、という疑問もありますね。
それを何故「タナバタ」と読むかについてですが、「タナ」は本棚の「棚」、
「ハタ」は機織(はたおり)の「機」からきています。そもそも中国から
伝わった7月7日の行事である「七夕(しちせき)」に「タナバタ」という
読み方があてられました。


お盆の時に訪れる祖霊に対して禊ぎをし、
棚機つ女(たなばたつめ)として選ばれた女性は神衣(かみそ)を織ります。
そして、身を清める場の境界として海辺や渚、
川べりといった水際が選ばれ、その時に簡単な棚をしつらえられ、
織った衣がかけられていたんです。
棚というのは袖や、他にも旗とか領巾(ひれ)とか、
ヒラヒラするものであり、「手巾」と書いて「たな」と呼びます。
そういったヒラヒラしたものが短冊に変わってきた、と言われています。

七夕飾りも考えてみると「吹き流し」のようなものがあります。
あとは網飾りとか。ひらひらとして、何かを引っ掛ける様なもの。
他にはひょうたん、貝殻、盃、瓜などがあり、それらは何かをが宿る「器」です。
そして、時が経つにつれ、ねぶた祭がどんどん大きく派手になったり、
鯉幟や七夕がどんどん華やかになっていくようなことは
風流過差(ふりゅうかさ)と呼ばれます。




楠:

なるほど、「棚」という面白いキーワードがありましたね。今日、皆さん
とお聞きしたい音のお響書は「月琴和琴(げっきんわごん)」です。
日本に一台しかない貴重な楽器です。まずはその音を浴びてみてください。

非常に美しい音ですよね。これは雅楽の音です。
雅楽は下から上に登っていくように、縦に音楽が創られています。
面白い事に、宮廷の音の世界、雅楽の音の世界には音に位(くらい)が
ついているんです。そしてこの和琴という音の位が一番高いのです。
なので、雅楽の世界で一番位の高い方が和琴を弾いています。
その一番偉い方はその家系も代々その位を維持しています。

音の層的に和琴は一番下位に位置し、その上に他の楽器がボンッボンッボンッ
と重なっていきます。今でいう園遊会など宮廷などの場では、和琴1台
だけで演奏されている事もありますが、通常その最上階は篳篥(ひちりき)
という楽器が担当します。和琴は音を上げていく段階で他の楽器にバトン
タッチして自分の出番は終わり・・・ではなく、音が重なって上に行くまで
最後までジャラーンと鳴っているんです。

横に並べる、のではなく、音を棚にして並べていくのが、和の音楽なんです。
仮説ですが、日本人はこの縦のグルーヴ感を持っているのではないかと思い
ます。日本人は縦、上下、という感覚に優れている民族なのではないでしょうか。
優雅さよりもダイナミックさですね。

ところで、聴いていて鉄の弦の音色がしませんよね。弦楽器といえば鉄の音
の弦の音色をイメージする方が多いかと思います。鉄の弦の楽器というのは
海外から入ってきた文化です。木の根、馬の鬣、麻、そして絹など、布で弦
が作られたものが日本の弦楽器です。純粋な日本のもの、というわけでは
ありませんが、簡単に分けるとそうなります。ひものようなものなので、
弾くのにかなり力を必要とするものです。



【響花へ】

塚:

僕のいける花が、何か音と響き合ってできあがるといいなと思います。
七夕というと、夏から秋への間のお祭りです。このような季節と季節の間
の祭は行合祭(ゆきあいまつり)と言います。日本の五節供は
全部その時期に行われます。
今日の花も夏と秋が行き交うようなものになっていると思います。
(最初芒をたてる)
七夕の時期、例えば青森では「ねぶた祭り」があります。
「ねぶた」というのは「怠け心」とかけられていて、
これからの農作業の際に怠け心を持たないよう、それを流してしまおう、
という行事で、「ねぶり流し」や「ねぷた」ともいわれます。
「合歓木(ねむのき)」は夜になると葉が閉じて眠ります。
それを良くないものとして、その枝を流すんですね。そして、その一方では
合歓木で収穫された豆は流さないようにしました。それを謡ったうたなども
存在します。
(山藤を活ける=藤は豆科)

お琴や琵琶もおそなえされる事があります。それは弦が絹でできているからです。
(山桑の葉を浮かべる)
月琴和琴もそうですね。何故天皇陛下が代々和歌をお作り
になるのかずっと疑問でした。さっき和琴が天皇の楽器という話もありましたが、
そもそも「和」という字がついてますよね。実はこれは難しい字で、単純に調和
とかそういう意味ではありません。右辺の口は、本来は口では無く、笛の形でした。
不調和の様々なものを束ねて和する、という意味が本来の意味なんです。
(アマンサラスや黍を活ける)

(菊を活けながら)
菊は日本語だと思われてますが、中国語ですね。元々「クク」という言葉で
入ってきます。重陽の節句、別名、菊の節句とも言われてます。ククはくくると
いう意味から来ています。小さな花が集まった、くくられた花という意味があり
ます。中の米は小さいもの。それを集める。毬なども同じような意味があります。



 (マリモなど活ける)
生命が海から上がって、人の身体も植物も水に満たされている事。
月琴和琴の音を聴いていて、生命誕生の響きを感じたので、
水の中の植物を活けました。ストロマトライトなどイメージしています。


段々秋のお祭りとなるとお月見になりますね。月は満ち欠けを繰り返すので、
収穫祭の意味が大きくなります。
 (穀物である黍や、アマランサスなどをいけた意味)月の女神は世界中で穀物の女神、大地の女神である。その再生を月に願うのがお月見。



【第二部】


土谷
素晴らしい音とセッションでしたね。先ほど、塚田さんが話しかけた秋の七草の覚え方は…。

塚田
そうでした(笑)。「お好きな服は?」です。
それぞれ、
「お」女郎花
「す」薄(すすき)
「き」桔梗(ききょう)
「な」撫子(なでしこ)
「ふ」藤袴(ふじばかま)
「く」葛(くず)
「は」萩(はぎ)
ですね。
ちなみに撫子は、撫でた子は可愛い、ということから来ていますね。
また、五行説というものですが、方角にも意味というか色があって、東が青、西が白、南が赤、北が黒、真ん中が黄色なんですが、今回のセッションもそうやって方位の色に合わせて花を挿しました。

土谷
本当に勉強になりますね、この会は…(笑)。
音についてもう一度お話していきたいのですが、この響会の一番初めの音は水琴窟、それから風鈴、くす玉…、と会を重ねてきました。これまでは自然が鳴らす音で、人間の力というのは自然にはかなわない、ということを感じてきましたが、今回は人間が鳴らす音なのですね。こんなにきれいな音なのに、日本の楽器は音を鳴らすのにとても力がいるんだということも分かりました。
こうした音について、もう少し伺いたいなと思います。

楠瀬
例えば、洋楽というのは後半に向けてだんだんと作っていくんですね。モーツァルト、ベートーベンの頃から。日本の音楽というのは、最初のカーンという音で、一発で作ってしまうんですね。時間をかけてゆっくりという作り方ではなく。そのまま、あっという間に終わってしまう。他の国にはできない独特の表現だと思います。日本人は面白いですね。
今日の月琴和琴ですが、この楽器は9メートルあって、4弦なのですが、女性が置物を着てちょいと弾くのは無理です。男性が相当な力を使って弾かないと音が鳴らない。最初のパンという瞬間のところに音楽がある、そういうのが面白いところです。そうした文化が、昔から守られていています。



土谷
音については分かってきましたね。
雅楽という音楽でもそうなのでしょうか?

くすのせ
月琴和琴は、楽器のなかではベース、一番下の音です。ソロで1台だけ、貴族たちにポロンと弾く楽器が月琴和琴です。

土谷
例えば太鼓をたたくという場合でも、普通に叩いても音が出ない。瞬発力、あるいは鍛錬とも言うべきか、ある高みに達するまで音が出ないのが日本の楽器かもしれませんね。

楠瀬
その美学がすごいところですね。重労働のあとに、選ばれた音が出てくるという…。

土谷
それも、透き通るような音ではなく、響くような音。

楠瀬
決して西洋音楽のような、クリアな透き通るような音ではないですよね、葉っぱ臭いというか木の匂いがするというか。

土谷
さて、塚田さんはこのような「棚」をつくってくれましたが、月琴和琴はベースであり土、支えとなるものですよね。支えということがテーマとなって、音が上と下でつながっている。アクリル版を使った棚は、見えない土の中を見せてもらったという感じがします。音も見えないものですから、そこに共通性が見えます。



塚田
和音の音を聞かせてもらって時に、ベースの音の凄さというのも感じましたが、一番感じたのは「色気」だったんです。たとえば「色好み」といいますと、いい言葉として使われないですが、情愛豊かであるとか、そう云う人は周りを華やかにする人であったり。ですので、人々が情愛が豊かであれば国が平穏である、そんな意味ももつ言葉だとか。そうした色気があるような花になればいいなぁと。色気や艶っぽさには土谷さんが仰った「水」は欠かせない。
ちなみに「彩」という文字は植物からもらった色彩を意味する形です。

土谷
水というのもすごい力ですね。水というのもはいろんなものを運んでくるわけです。けがれを移して運んでいくのも水でしたね。

楠瀬
本来の日本のかたちってそういうものが多いですね。音そのものよりも後の余韻が残っているような。
古墳などの遺跡の中からも、月琴和琴に近いものが出て来ているんです。

土谷
500年前も、同じ音を聞いていたのでしょうね。音の凄さは、数百年前に聞いていたものを、時代を経ても同じ音が聞けるということですね。今日みんなどんなことを感じたか、聞いてみましょうか。

ゲスト中山さん
月琴和琴の音が、月夜の海の音みたいだと感じていました。広い海で、月が煌煌と光っていて、そこに繰り返しながれる音のような。とても気持ちよかったです。新たらしい音と出会う事ができました。夜、海がどーっと来るかんじ。でも繰り返して轟いている感じですね。

楠瀬
月琴というともう少しきらきらしている音かと思いませんか?それが、あんなドローっとした音ですから、そんなきれいな月じゃなくてドローっとした月だったんじゃないかと思うんですよね。そうすると音とのつじつまが合うんです。今とは違う月の見方があったんじゃないかと。



ゲスト岡田さん
実は始めて聞いたのですが、雅楽のベースだと聞いて驚きました。仕事で宮内庁の音を収録したことがあるんですが、ひとつずつの楽器の音をもらうことがさすがにできなかったので…。この音も入っていたんでしょうね。気がつかなかったです。

楠瀬
雅楽のなかではこの月琴和琴の音はそんなに目立たないですね。でもなければいけないベースの音です。

土谷
スープのだしみたいですね。おいしいだしというのは、味を感じないくらい味がなければないほど美味しい。何かが入ったときにその味が引き立つもの…。そんな音なのかもしれないですね。

ゲストきはらさん
インドのシターラという楽器がありますよね、後ろでひたすら同じ音階をひいているという。その繰り返しのパターンときわめて似ていると思いました。激しい音を際立たせるために繰り返ししている。そういうものが日本に伝わってきていたんだなと。鐘は月をベースにしているんですよね。姿かたちを変えて日本にたどり着いているだなぁと思いました。

塚田
シルクロードが発達しなければ、なかなかここまで文化が伝わってこなかったですね。



土谷
ほかにも…。真正面の方。

ゲスト中村さん(ヨガの先生)
塚田さんのご紹介で、昨日突然お誘いを受けまして。あまり詳しく知らずに飛び込んだのですが草っぽい音というのが印象に残っています。私もそう感じました。土っぽいというか。塚田さんがつくってくれたものを見ながらやっぱりそうだなぁと。薄や桔梗もそうですが、そのまま生えているものを活けたという感じが凄くします。粗野なんだけど洗練されている、当然のように同居しているというか。いただいたごぼう茶も土っぽくて甘みがあるような…、そういうのも全部含めて、この場所に座って月を思い浮かべたりとか、来る前に日比谷公園を歩いたんですが、そうしたことが渾然一体となって今この時間につながっている感じがします。

ゲスト○○さん(上海からのお客様)
一番肝心な音を聞けていなくてちょっと悲しいのですが、お話を聞いて、西洋の音楽が後半に従って盛り上がっていくのに対して
、日本の音楽は潔さがあるなぁと想像していました。上海はとても一元的というか、大きい小さい、薄い濃い、そういう世界が日常なので、本当に単純に癒されました。これもぐちゃぐちゃに見えるけど(笑)、ちゃんとしっくり来る。中国はぐちゃぐちゃでしっくりこない(笑)。そういう生活をしているので、自然のもので調和が取れているこの世界観に癒されます。

土谷
さぁ、そろそろ時間ですね。今日はたくさんの方にいらしていただき本当にありがとうございました。二ヶ月に1回の会ですが、
また少しずつ輪を広げていければと思います。本当にありがとうございました。