2012年6月26日火曜日

【響会Vol.3】今回のお響書





響会Vol.3 今回のお響書



「端午の節供の薬玉(くすだま)」

くす玉というと、現在は建物の落成記念や、何かの大会の開催を祝って、
玉につけられた飾りひもを引くと玉が二つに割れ、
中に入っていた花吹雪や垂れ幕が登場するという、「くす玉」が思い浮かびますが、
本来は

くす玉 → 薬玉

で、蓬(よもぎ)や菖蒲(しょうぶ)や
その他の香草、香料、薬草を錦の袋に詰めて丸く作り、
その下に五色の糸を垂らしたものをそう呼びました。
香草や薬草を摘めて作った玉ですから、まさに薬玉だったわけです。








◇端午の節供と薬玉

薬玉は元々端午の節供に柱に飾り、
その香りによって邪気を祓うためのもので、中国から伝わった風習です。
現在の「くす玉」では玉を割るための仕掛けひもとしか見られないあのひもも、
本来は「五色の糸」で古代中国において森羅万象を形作る
五行が調和した状態を表すものでした。

端午の節供と言えば、野山には草木が生い茂る時期。
野に出れば、香草、薬草の類も姿を現し、そこかしこで見つかる時期でしたから、
こうした香草、薬草の類を集めて薬玉を作るのにはよい時期でした。

また、旧暦時代の「五月」は梅雨の時期で、
ものが傷みやすく、病気にもなりやすい悪い気の多い月だと考えられましたから、
そうした悪い気(邪気)を祓うために、
香り高い薬玉が使われたものと考えられます(邪気は芳香が嫌いらしい)。

中国から伝わり、宮中でこの「薬玉」を飾るようになりましたが、
初期の頃の薬玉は極めて質素なもので、
五色の糸に蓬や菖蒲を貫いたものに過ぎなかったそうです。
それが次第に美しく飾られるようになって、
現在の「くす玉」にまで至ったようです。

さて、現代のくす玉ではなく本来の薬玉は宮中の柱にかけ、
また身につけるなどして邪気を遠ざけました。
そして九月九日の重陽の節供には香りの薄まった薬玉を
重陽の節供に作った新しい茱萸袋(しゅゆぶくろ)に取り替えました。
薬玉も茱萸袋も共に芳香の漂うもの。
どちらもその芳香によって邪気を祓う呪いでした。

現在の五月は、初夏の気持ちのよい季節で
「邪気の満ちる月」という感じはありませんが、
気持ちのよい季節で野遊びには最適の時期でありますから、
機会があれば野原で香草、薬草を集めて薬玉を作り、
家族の一年の無病息災を祈って、
家の柱に飾ってみるなどしてもよいかも知れません。

(参考:WEB サイト「暦のこぼれ話」より)

風鈴は音で邪気を払い、薬玉は芳香で邪気を払うのですね。
皆さんも「邪気を払う」という観点で、
風鈴や薬玉に触れられてはいかがでしょうか?





◇今回の音について

平安中期、武徳殿(ブトクデン)にて始まった儀式で
皇族の安否を祈ったものが日本では最初だそうです。
それが時代と共に形を変え「薬玉」という形になったらしいです。
鐘の合奏はその儀式の時から存在していて、
形は変わったけれども音だけは残ったというのが説になっているようです。

(フィールドエンジニア 安倍均さん)

鐘(名称不詳)
約4メートルの竹に4本の鐘がぶら下がっていて
それを揺らしながら薬玉を囲むように鳴らして
儀式のメイン舞台までお供をしたものらしいです。
その鐘自体は現存しています。
また、同様の手法がチベット仏教にも全く同じ解釈で存在してます
ここにも何かヒントがあるような気がしています。







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